内田篤人の引退理由は?引退後は指導者?引退コメントも追記!

元日本代表で現在鹿島アントラーズDFの内田篤人選手が、32歳と言う若さで現役を引退することを発表しました。

サッカーファンからすると、かなりショックなニュースとなったのではないでしょうか?

急ではありますが、8月23日(日)のJ1リーグ第12節ガンバ大阪戦がラストマッチになります。

ラストマッチ終了後に引退の挨拶、8月24日(月)にオンライン記者会見を行う予定で、8月31日で鹿島アントラーズとの契約終了となるそうです。

なぜ、内田篤人選手は、この時期に引退を決めたのでしょうか?また、引退後はどうするのでしょうか?

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内田篤人選手の引退理由は?

引退理由は明確にはなっていませんが、度重なる怪我が原因と思われます。

今年4月のインタビューでは、「自分の体の感覚というのはだんだんわかってくるので、自分の中では引退はそう遠くない」と語っていました。

過去にも、2015年6月に膝蓋靭帯を負傷し、手術をしたときも「自分の怪我は症例が少なく、先が見えず引退がチラついた」と話していました。

32歳での引退は、サッカー選手としては早い方で、サッカーファンは残念ですよね。

【内田篤人選手の過去の怪我について】

2014年2月シャルケの試合で、右膝裏の腱損傷で全治3ケ月と診断されリハビリ後復帰。

7月には、右膝蓋腱の炎症で全治2~3週間と診断され、欠場が続く。

だましだましプレーしてきたことで、右膝はさらに悲鳴を上げることとなり、2015年6月手術を決断。

長いリハビリ生活から2016年12月ついに復帰するが、怪我の治療は症例が少なく実験的な治療で不安が続いていた。

シャルケではスタメンから外れ出場機会が減り、ウニオンベルリンへ移籍後も左太ももも肉離れなどがあり戦線を離脱。

日本の鹿島アントラーズに戻り復帰するも、怪我に悩まされる日々は続いていた。

 【23日の引退セレモニーにて】


今日僕はこれでサッカー選手を引退します。

鹿島アントラーズというチームは、多くのタイトルを獲ってきた裏で、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿を僕は見てきました。

 僕はその姿を今の後輩に見せることができない。日々練習していく中で身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら、鹿島でプレーすることは違うんじゃないか。サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました。

 もう一花、二花咲かせたいと日本に戻ってきましたが、そのなかで隣に寄り添ってくれたトレーナー。まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、良い時も悪い時も共に過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメイト。本当にありがとうございます。このようなシーズン。チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト。本当に申し訳ない。

 日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさも、全て僕の財産です

この話を聞いている、プロ、サッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の人たち。鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が、君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。

 僕はそれを強く願います。

 最後に、サッカーを通じて出会えた全ての人たちに感謝します。また会いましょう

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内田篤人選手の引退後は?

今年4月のインタビューで、引退後のことを聞かれた際「監督も強化部もやってみたい」と語っていました。

そのため、引退後はサッカーに関わりながら指導者を目指すと思われます。

今後は、日本代表の経験や色んな監督の指導を受けてきた経験を活かして活躍していくのではないでしょうか?

古巣で思い入れのある鹿島アントラーズで指導者として活躍する、内田篤人選手を見られる日も近いかもしれません。

ラストマッチを終えた24日の引退会見で、引退後の今後についても語られると思われます。

引退会見でのコメントはこちら

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内田篤人選手の引退を受けての反応は?

同級生でU-20や日本代表として共に活躍した浦和のDF槙野智章選手はツイッターで次のようにコメントしています。

また、23日の内田篤人選手のラストマッチの解説は、元日本代表選手の岩政大樹さんです。

2007~2009年の連覇を支えたレジェンドが「鹿島の弟」の花道を放送席で見届けることとなります。

約7年在籍していたシャルケ04のツイッターでもコメントがありました!

海外ファンからは、ウッシーと呼ばれてたんですよね。

内田篤人選手のプロフィール

生年月日:1988年3月27日(32歳)
出身地:静岡県田方郡函南町
身長:176cm
体重:67kg

在籍チーム:J1リーグ・鹿島アントラーズ
背番号:2
ポジション:DF(SB)/MF(WB)

【在籍チーム歴】
2003~2005  清水東高等学校(ユース)
2006~2010  鹿島アントラーズ
2010~2017  シャルケ(ドイツ)
2017     ウニオン・ベルリン(ドイツ)
2018~2020  鹿島アントラーズ

【日本代表歴】
2005~2007  日本U-20
2007~2008  日本U-23
2008~2015  日本

2006年の鹿島アントラーズ時代に、パウロ・アウトゥオリ監督に高く評価され、Jリーグ開幕戦でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たす。

また、当時17歳11ケ月でのプロ初得点は史上最年少得点記録であった。

2007年には名取橋晃から指名され背番号2を引き継ぐ。

2009年、鹿島アントラーズ史上初のJリーグ3連覇を達成し、内田選手自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。

2010年7月に3年契約でドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へ完全移籍。

移籍後は、度重なる怪我に見舞われるも、クラブ史上初、日本人初のCLベスト4を記録する。

以降も怪我での離脱やリハビリ、手術を繰り返す。

2017年8月にウニオン・ベルリンに1年契約で完全移籍するも、怪我のため2試合のみの出場で離脱。

2018年古巣である鹿島アントラーズへ復帰するも、その後も怪我での負傷を経験する。

2020年8月20日、引退を発表。

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